東京大学特任准教授の大澤昇平さんが懲戒解雇された問題で東京大学のプレスリリースで書かれた”反日勢力”という単語が物議を醸しています。
大澤特任准教授についてはコチラ
反日勢力、なぜ問題?
そもそも事の発端は大澤特任准教教授への懲戒解雇のプレスリリースのこの内容。
(2) 本学大学院情報学環に設置されたアジア情報社会コースが反日勢力に支配されているかのような印象を与え、社会的評価を低下させる投稿
一見なんの問題もないただのヘイト投稿がありましたよーって意味に取れるかもしれないが、一つ重大な問題が隠されている。
それは、東京大学が”反日勢力”の存在を認めていると取られかねない文章だからだ。
何故とられかねないかというと、それは”反日勢力”という単語をカギかっこ等で囲んでいないからである。
そもそも、”反日勢力”とはなんであろうか?
日本のやることに反対する人?与党に反対する人?日本人の意見に賛成しない人?
明確な定義が存在しないのである。
砂山のパラドックスという有名な言葉があるが、それは砂山から一粒ずつ砂を取っていったらいつ砂山でなくなるかという事である。
これは、砂山の定義が曖昧であるためにいつ砂山がなくなるか分からない。すなわち、曖昧な言葉を使うと議論の余地がなくなるという事を言った言葉である。
このプレスリリースの文でいえば正に”反日勢力”という単語である。カギかっこでくくらないという事は、反日勢力というものの存在を認めるという事であり、定義の曖昧なものを認めるということは、どうとでも意味を取れるのである。
つまり”反日勢力”=特定の国籍の外国人
とした場合、特定の国籍を中傷するヘイトであるが、”反日勢力”という単語の定義が曖昧であるがためにそうとることも可能なのである。
そうなれば、東大のプレスリリースはヘイトを咎めながら新しいヘイトを容認していることになるのであの文ではカギかっこを付けておくべきだったのである。
なぜカギかっこを付けるとOKなのか
なぜカギかっこを付けるとOKなのか。それは、カギかっこが持つ性質と関係する。
カギかっこには、いわゆるという意味が含まれる。例えば、正義マンという巷でよく使われる言葉があるとする。
正義マンというものは定義が曖昧で議論に使うべきではないが、正義マンについて議論しなければならない瞬間がある。
その時に使われるのが”いわゆる”という言葉である。
つまり、いわゆるという言葉は、”俺は認めないけど、君たちや巷で言われている”という意味になる。そうやって、保険を掛けることによって真偽不明な言葉や、定義が曖昧な言葉を使うことが出来る。
これはカギかっこにも受け継がれていて、カギかっこでもそういう意味になる。
つまりカギかっことは真偽不明で定義的にもあいまいで使いたくはないが、便箋上使わざる得ないので使うという意味を含む。
だから今回の”反日勢力”という定義が曖昧な言葉にはカギかっこを使用して、東大自体は認めてないが便箋上しかたなく”反日勢力”を使っているという形にしなければならなかったのである。
まとめ
今回の”反日勢力”という言葉は定義が曖昧で、なおかつ人種や国籍差別につながりかねない言葉であり、東京大学が公式で出している文章上では絶対に認めないという姿勢を見せなければならなかった。
東京大学が日本の最高峰の大学であるのでなおさらある。
しかし、カギかっこをつけ忘れたことによって、ある意味では反日勢力という曖昧な存在を東京大学が認められていると取られかねない文章であったので物議を醸していたのである。
これに関してはしばらく物議を醸すかなー?